[白井貴子さん]母の介護、家族で分担…実家に戻り 同居「深い時間」
歌手の白井貴子さん(57)は、パーキンソン病と診断された母(83)を、家族ぐるみで世話しています。夫や父、弟と協力して負担を分散、今のところ介護サービスを利用せずに乗り切っているといいます。
パーキンソン病
母は2000年ごろ、右手首の関節が痛むようになり、その後、手の甲も赤く腫れあがりました。関節リウマチです。左手の痛みもひどくなり、得意だった料理や裁縫も徐々にできなくなっていきました。そんな状況に、私たち夫婦が母と同居することにしたのは2年ほど前のことでした。
それから1年たった頃です。「症状が改善している」との検査結果を聞かされ、両親は喜んで病院から帰ってきました。ところが、しばらくして母の様子がそれまでと違うことに気付きました。体がふらついて自分のペースで歩けず、前のめりにどんどん進んでいってしまうのです。
食事中も体が震え、思うように食べられません。昨年暮れに脳を精密検査したところ、パーキンソン病にかかっていると分かりました。母の失望はどんなに大きかったことかと思います。
パーキンソン病は、脳が出す指令が筋肉にうまく伝わらなくなる進行性の難病。神経伝達物質のドーパミンを補う薬を処方するなどして治療するが、完治させる方法は確立していない。
「必死のパッチ」
「あれだけ長くリウマチの痛みに耐えながら、頑張ってきた母なのに――」。かわいそうで、いたたまれなくなりました。
でも、私が悲しんでも、母の慰めにはならない。何とか母を明るくさせたい。それなら私も前を向いて行こうと決めました。
「必死のパッチ」という言葉を関西で聞きます。「ものすごく必死」といった意味ですが、母に処方されている貼り薬が「ニュープロパッチ」という名前だったので、肩や足に薬を貼る時に「必死のパッチで頑張って!」と声をかけるようにしました。
大阪生まれで、お笑い番組を見るのが何よりも大好きな母。眉間にしわを寄せしんどそうな顔をしていても、こんな私の冗談にほほ笑んでくれます。
母の世話は、実家に戻った貴子さんと父(83)が中心だが、弟(53)も休日に手伝ってくれる。プロギタリストの夫(55)も、母の前でギターを弾いたり、話し相手になったりしてくれるという。
仕事柄、コンサートやテレビの取材で長く離れることもありますが、それ以外はなるべく母のそばにいるようにしています。母が好きな筑前煮やちらしずしを作ったりもします。母が難病でなかったら、料理を作ってあげることもなかったかもしれません。
とはいえ、どう接するべきか迷うことは多い。一人で食べるのが大変そうな母を見て、つい過剰に手伝おうとして嫌がられてしまったり。逆に、「ほら、左手は大丈夫なんだから自分で器を持って」と自立を促そうとしてみたり。
そして、服を着せる手助けやトイレの世話などをしていると、「私が子どものころ、母はずっとこうして面倒をみてくれていたんだ」と、胸が熱くなるのです。
家族で介護を分担していることで、1人にかかる負担は抑えられていると思います。入浴やトイレの介助は主に父の役割。父が疲れたら、休んでもらって私が引き継ぐ。2人とも疲れたら、夫や弟が引き受ける、という流れです。
母は最近、要介護1の認定を受けました。各種の介護サービスを使う選択もありますが、今のところは、できるだけ家族で介護していきたいと考えています。
貴子さんが好きな音楽の道を選んだことを、母はずっと応援してくれていた。音楽大に進み、プロ歌手のオーディションに合格した時も反対せず、後押ししてくれたという。
一瞬の選択大切に
今でも母は、調子が良ければ、不自由な体でコンサートに来てくれる。私が元気に歌っている姿を見るのが励みになるようです。
日によって体調はかなり違いますが、天気が良ければ母の手を取り、散歩に行くようにしています。先日も「富士山がきれいだよ」と声をかけ、海に近い公園に出かけました。
一緒に生活するようになって、これまで知らなかった母のとても古風な面に気付いたりしています。自分がどんなふうに生まれてきたかも聞かせてくれました。「深い時間」を過ごしていると感じます。まだまだ教えてほしいことがいっぱいあります。
母には、人生最後の時を少しでも幸せに過ごしてほしい。一瞬一瞬の選択を、大切にしたいと思っています。(聞き手・田中左千夫)
◇ しらい・たかこ 1959年、神奈川県生まれ。81年デビュー。「 Chance!」のヒットで「ロックの女王」と呼ばれる。6月15日にCD「涙河 白井貴子『北山修/きたやまおさむ』を歌う」をリリース。同25日に東京・原宿で新譜発売記念ライブを開催。
◎取材を終えて 1980年代に「ロックの女王」として名をはせた白井さん。デビュー当時は、母お手製の衣装でステージに立っていたと今回、聞かされた。ロックという音楽への偏見が根強かった時代から、誰よりも応援してくれたのだという。今も続く2人の強い絆が、病と闘う母を勇気づけ、白井さんをも力づけていると感じた。介護の負担は決して小さくないだろうが、すてきな親子関係がうらやましく思えた。
*2016年5月15日