[藤真利子さん]母を失い自責の念も
11年間介護と仕事の間で
女優の藤真利子さん(62)は、2016年11月に母親の藤原静枝さんを92歳で亡くしました。藤さんは10年以上にわたり、静枝さんを在宅で介護しました。献身的に取り組んできただけに、今も失ったショックは薄れず、「死なせてしまった」と後悔し続けているといいます。
05年6月19日、舞台の公演を終えて、ボーイフレンドの実家で夕食を楽しんでから帰宅すると、真っ暗な台所に母が倒れていました。脳梗塞でした。救急車で病院に運び、幸いにも命は取り留めたのですが、右半身がマヒし、言葉も話せず、全てに介助が必要となりました。
倒れる前月、母はゴミを出そうとして転倒し、腰椎を圧迫骨折していたんです。全治2か月と診断され、医師から「誰かがついて、安静にしていてください」と言われました。ですが、私は舞台の真っ最中。母についていることができなかった。骨折と診断された時に入院させていれば、舞台の帰りに寄り道なんてしなければ、こんなことにならなかったのかもしれません。
人気作家の父、藤原審爾と静枝さんの間に生まれた。だが、4歳の時に母と2人でその家を出た。父のもとには常に知らない女性がいた。傷つき、涙を流す母の姿に、幼いながらも「私がママを守る」と誓ったという。
母の親戚から「あなたたち親子じゃないね、双子だね」って言われたことがあるのですが、まさに母と私は「一卵性親子」とでもいうように、離れられない関係でした。
入院先の病院から、高齢者施設に移るように言われたのですが、家から遠い施設だと、私も通い疲れて倒れてしまう。できるだけ近くで入れる場所を探しました。
ちょうどよい施設もあったのですが、動けない母を移動させるのは命がけのことなのに、「尿道カテーテルの交換は病院に頼んでほしい」と求められました。母の病状に対応してくれるところが見つからず、倒れてからほぼ1年後、06年5月から在宅で介護を始めました。
病院から家に戻った母は、とても元気になりました。私は毎晩、母のベッドの横に布団を敷いて寝て、母の寝息を聞きながら、母と一緒にいられる幸せを感じていました。
介護のため、以前のように仕事ができなくなり収入が激減。「気がついたらお金がなくなっていた」という。静枝さんの状態は要介護5、身体障害者1級。介護保険や障害者の支援費制度を使って、自宅を改修し、介護用品をそろえ、ヘルパーを頼んだが、排便が自力でできないため、肛門に管を入れて便を出す難しい処置が必要で、ヘルパーが定着するのに時間がかかったという。
在宅介護といっても、重い症状だとどうしてもお金がかかります。あと10年も生きたら破綻すると分かっても、死んでほしいとは思わない。だからつらいんです。仕事も大事だけど、母の方が大事。でも母を大事にするためには、仕事も大事なんです。
地方ロケの時はヘルパーに家に泊まってもらいました。舞台の稽古も、なるべくヘルパーが家にいる時間に設定してもらいました。
最後の1年、母は腸捻転を起こしたり、ひどいむくみや皮膚炎に悩まされたり、肝硬変が見つかったりと、大変な状態でした。私が仕事をしないで一緒にいることができれば、こんなにひどくならなかったのにと思うことも、たくさんありました。
でも母は、私の舞台やテレビ出演を見るのをすごく楽しみにしていた。ストレッチャーに乗せて劇場に連れて行ったことがあるのですが、私の演技を見てとても喜んでくれた。だから、母のためにも、仕事のせいにしてはいけないなと思うんです。
静枝さんの死から1年がたった昨年11月、自身と母のこれまでの人生と、亡くなるまでの介護の記録をまとめた著書「ママを殺した」(幻冬舎)を出版した。
母が亡くなった後、「死なせてしまった」「殺してしまった」とずっと自分を責めてきました。母が倒れてからの11年、いろいろ大変な場面はありましたが、今思うと、母の介護そのものをつらいと思ったことは一度もない。亡くなったことが一番つらい。
出版は、所属事務所の社長に勧められたのですが、母の頑張ってきた一生を残したい、そして誰かの助けになればいいという思いで、仕事の合間を縫って、何かに取りつかれたように書き上げました。
「ママが死んだら私も死ぬ」が口癖でしたから、こうして忙しくさせていただいたことで、命拾いをしたのかもしれません。
これからも、自分にいろいろなことを課して、その目標に向かって、頑張って生きていければと思っています。(聞き手・宮木優美)
◇ふじ・まりこ 女優。1955年、東京都生まれ。77年デビュー。78年にドラマ「飢餓海峡」でゴールデン・アロー賞最優秀新人賞、85年公開の映画「薄化粧」で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。現在放送中のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」で大久保正助(利通)の母を演じている。
◎取材を終えて 藤さんに、介護中の読者に向けたメッセージを求めると、涙をためながら「(介護できることが)うらやましい」と答えてくれた。女優の仕事を続けながらの介護は、苦労が多かったに違いないが、生き続けてほしかった、介護を続けたかったという。今の時代、親の介護に否定的なイメージを持つ人の方が多いのではないだろうか。私もその一人だ。それだけに、あまりに純粋な藤さんの親子愛を、まぶしく感じた。
*2018年2月18日